丸山繊維産業ブログ

あの人に会いたい~岸 朝子さん~

NHK映像ファイル 食生活ジャーナリスト 岸 朝子さん

このようなお方とは知らず、番組を見ていました。「料理の鉄人」

言われることが少し違うとは思っていましたが、、、?

昨日の土曜日にNHKで放送されました。

以下紹介させて頂きます。とにかく凄い方!

「おいしい料理を食べて怒る人はいない」と

子供の時から母がよくもうしておりましたけど、本当においしい料理というのは食べて幸せですね!

料理の番組、「料理の鉄人」で活躍、お茶の間の人気を集めました。

おいしゅうございます、でお馴染み。

料理記者の先駆けとして戦後の日本の食を取材すること60年

食べることの意味を伝え続けました。

料理番組の事を「鍋釜記者」といった人がいるのよ!

文化的なことや、いわゆるストライキようなことがかっこいい記者だと思っているのでしょうけれど、そうじゃないですよ!

いわゆる編集者仲間にも差別されていた時代にそういうことを言われた時に私は怒ったの

何が「鍋と釜がなくて何で人間が生きていけるの」と

生涯心に宿していたのは「命は食にあり」という強い信念。

大正12年東京生まれ、「牡蠣の養殖法を打ち立てた父」、沖縄出身の事業家、宮城新昌の次女として生まれた。

食の大切さを諭す父に強い影響を受けて育つ。

掃除、洗濯、裁縫は人に任せても良いけれど、料理は命に係わること、だから人任せにしちゃいけないし、人を指図できなければいけないと言っていた。

そして母ツルさんからは食は心の栄養になると教わる。

私の母はよくもうしておりましたけれど

「悲しんでいる人にはおいしいものを食べさせてあげなさい!おいしいものを食べて怒る人はいないでしょう?と

母からよくいわたと。

高等女学校を卒業し、女子栄養学園「現、女子栄養大学」へと進学、学校創設者の下で食の科学である栄養学を学んだ。

私は食いしん坊でしたから、おいしいサンドイッチの作り方を教えて頂きたいと思って、お料理学校のつもりで入ったんですよ。

ところがとにもかくにも「病人を作らない食事を日本人のために普及したい」という形で始めた学校!

食品学とか栄養学とか病人の食事とか、体と食事の関係をきっちり教えられてしっかり学んだことが私の一生を決めました。と

昭和30年4人の母の子となった岸さんは生計の足しに働くことを決意、人生が大きく変化

料理記者募集の広告を見て食に関する仕事ならばと応募。

洋食が家庭に広がりつつあった時代、子供に人気のあったカレーライスやハンバーグの調理法はあまり知られていませんでした。

岸さんは主婦向けのレシピを作ろうと考えた。

学校給食が始まって子供たちが「お母さん、ハンバーグ作って」と言ったって、ハンバーグなんて見たことも聞いたこともない当時のお母さんは戦争中の育ちだから、そういう人たちが料理を知りたいという時にきちんとしたものができるというのが私たちの願いでしたね。と

取り組んだ料理本は画期的なものでした。

何度も増刷され主婦の間でバイブルとなった。

誰にでもおいしいものを食べてもらいたいと一流の料理人の味を取材、そのレシピを具体的な数値で表した。

「先生、お塩をどのくらいでしょうか?」と言うと、「まあね」とおっしゃるから「けど先生このくらい?」と計量カップとスプーンを置いて伺ったりしましたね?

でお塩を振るんだって、振り塩というのですけれど、指の間からサラサラといっちゃうし、みんな勘ですよ!

お皿やお鍋についたものをなめて覚えていく、だけど読者はぬすめませんね?

そうです、だから軽量化して伝えるのが私たちの料理記者の仕事でしたね!

レシピだけではありません。まだ冷蔵庫が普及していない中、安全な食材の見分け方を伝える実験などを紙面に盛込みました。

「カロリーや健康にもっと関心を」と言う想いを持った岸さんは、45歳で転職、母校が出版していた食と健康をテーマにしていた月刊誌「栄養と料理」の編集長になり、次々と企画を立ち上げた。

スターのお食事診断や読者参加型の健康企画などを紙面は当時どこにもない斬新なのもとなった。

「栄養と料理」という雑誌を堕落させたという厳しい言葉もありましたよ? それを聞かれた時は?

だって私はもともとは大衆に知らせたかったことだから?

そんなお高くとまっていたって、誰も実行しないことを本にしたって仕方ないでしょう? 

伝えたいのは、「とにかく食生活をきちんとすれば健康でいられるよ」ということを伝えたいんだから!

その一方で日本各地の食の現場にも目を向けた。

生産者の想い、食の育つ環境、その土地土地の味を伝える企画を編み出した。

「日本はどこもおなじだよ」なんて言われていたけれど、とんでもない話で、「こんなに違う」ということを知らせたかったのね?風土の味?

私が「おいしゅうございます」と言いますね?

私たちは魚にしても肉にしても卵にしても、それからお米にしても

そうですけれど、動植物の命を絶って私たちがその命をもらって自分たちの命を支えているのですから!

おいしゅうございました。ということは「命に対しての感謝」だと思います。

70代を過ぎ心を痛めたのは食の乱れです。

手軽さの追求、孤食、偏食など食の使命が失われかけていると強い危機感をつのらせた。

この頃の食卓の荒廃、食生活の乱れを思いますと私は何のためにこんな仕事を一生懸命にやってきたのかと思いますね?

いいことを取り入れることを一つずつでもよいから知らせていきたいと思いますね?

手作りじゃなきゃいけないともいいませんし、即席食品、すぐできるものを食べないでおくとか、そういうことを考えておりません。

上手に取り入れて食生活そのものを豊かにして、尚且つ私の欲望としてはまずいものを食べないで健康を守りたい。

21世紀もそういうふうに賢く食べて、健康になる時代になってほしいと思います。

細かいことをごちゃごちゃ心配するよりも、上手な食べ方で健康を作りたいと思います。

美味しく食べて、体も心も幸せに、日本が誇る食文化を伝え残したいと、晩年までその想いを発信続けました。

世の中は見ていたら、どんどん悪い方、便利な方へ行っちゃいますよ!

楽な方、嫌な言い方をするとお金になる方!

そうじゃなくて、やっぱり人間の豊かさ、生活というのは自然と一緒に生きて、それで季節に合ったものを食べる。

そういう私たちの先祖が続けてきた暮らしに完全に戻れというのは無理かもしれませんけれど、思い出してほしいですね?

「昔のものを残したい」というのはとても努力のいることですよね?

ですから、だけれど、かすかな糸でも紡いで次のほうに残していきたい、太くしていきたいと思いますね?!

岸 朝子さん、本当に豊かな食とは何か?伝え続けた91年でした。

「ごはんを食べるということは生きることで命なんですよ!」

食生活ジャーナリスト

岸 朝子さん

1923-2015 合掌