丸山繊維産業ブログ

日々の暮らし

ハングリー精神。

なにもせず、食っていけたら人間は何もしないようになる。

仕事も平穏、全てが順調とはいかない。

必ず浮き沈みがある。

危機の前にどう備えるか?

でもこれがなかなかできない。

お金儲けとは別次元で、日々の生きざま。

あとは繰り返し作業の中から編み出すもの、浮かぶもの、閃くもの、この一連の動作から商品は生まれる。

単純に閃くものではない。

毎日の生きざまから誘引されるのではないか?

お金儲けにはあまり興味がわかないが、あくまで結果の対価がお金。

メーカーとしての企業活動から生まれる、新しい商品、それが喜びとなる。

お金はあるに越したことはないが、以上にあって活用したとて、それが何になる?

お金に惑わされることなくひとつひとつ毎日毎日の暮らしこそが、人間一番大事!

まず生きていくだけの資金が担保されれば、それでよいのではないか?

お金に惑わされてはいけない。

親の財布

私が小学生の頃、親の財布から2度、お金をかすめたことがある。

一度目が成功するから二度目に走る。

見つからないわけがない。金額は1万円。それもお札である。

親は当然おかしいと気付く。

当時、記念切手がはやっており、どうしてもその記念切手がほしかった故の所業であった。

ぶんぶく茶釜ではないが、両手両足を縛られ押入れ行き。

そんなことを、我が子を見ながら思い出す。

私の財布はいつもリビングの机の上にある。

子供は毎日それを見て育っている。

お金はそこにある。

欲しいとは思わないのか?

恵まれた時代に育っているから、こうなっているだけのことなのかも知れない?

私の所業は一生忘れることはできないが、戒め的なことを我が子に行ったか?というとそんな記憶も私にはない。

お金に執着しすぎてはダメであるが、なさすぎるのも考えもの?

いろんなことを想いつつ、自分のバネを作り、新しいものづくりに挑戦するしかない。

根本はハングリー!

ハダカ

視野を広めてモノコトを俯瞰的に見つめる。

今に入り込まず、別の角度から今を見る。

自身の根本、仕事の根本を見つめなおす。

良いこともあれば、逆もある。

自分を活かして人に役立つ。

生かされて役立つ。

ただ無心でハダカでコトにアタル。

これしかない。

時には苦難に遭遇し、悩み、迷うこともある。

自身で解決できないこともある。

自分の殻に閉じこもらず時には相談し

じっと時を待つ。

裸堂々 ハダカで生まれて 裸で死んで、何もなくとも 堂々と生きたいものですね。

とは恵中さんの書画。

全ては自身の生き様。

ECサイト

侮ることなかれ。

インターネットからの受注が、イッピン放映後から増えています。

一度に100件以上の受注を頂きますと、てんやわんや状態、パニックです。

本来、問屋、小売屋、商社さま相手の荷姿とは明らかに異なり、品物の包装に手間取ります。

しかし、いろんな角度から商品の受注を頂戴することは、ありがたいこと。

本日もユーザー様が弊社の商品購入にみえられました。

いろんな販売形態で、いろんな仕様でいろんな商品を発送できる仕組みを作らねばなりません。

時代にマッチした企業体質を創ることが大事。

テンターは心臓!

これが中々、社員に伝わらない。

織布は1本1本の織り、集団加工したところで、キャパはしれている。

加工は織布の倍はある。

自分の立ち位置、モノコトを俯瞰してどうすべきか?を考える。

加工後の商品が滞留すると、消化不良になり、テンターはストップ状態になりかねない。

動脈硬化を起こさぬように、血液の流れをよくしておかねばならない。

時には鬼になり、前後の工程に指令を発して嫌われ役になるのも仕事。

前後の工程に気を遣いすぎては仕事のスピードはでない。

とりあえず人の意見は謙虚に聞くことが大事。

強みと弱み

 本日、ブランディング会社のバイヤーさんが来社されました。

 どこにもない素材の製品がならっぷにはある。

 カラー展開、多色展開、プリントはどこにでもありますが、染織一貫生産は日本国中探されても、ふきん縫製まで一貫生産しているところはおそらくないと思われる。

 一貫生産が強いか弱いか、それはさておき、カラー、サイズと素材の組み合わせ展開、オリジナル素材が弊社にはある。

 これをどう世の中に展開していくか?

 営業の力量が問われる。

 奈良に埋没せず、外の世界を見つめて、どう異業種と提携していくか?

 行かば道は開かれん!

 どんな製品も、決して今の生産方法が必ずしも正しいやり方だとは思いこまぬように。

 好調な会社ほど、上から目線。そうならぬように謙虚な態度がブランドには必要。

 新商品を創るには、視野を広くして素人的発想と遊び心、通念や固定概念に絶えず疑問と批判を持ち続けながら

 好奇心旺盛で新しいもの、変わったものに興味をもつこと。

 簡単なようで、なかなかできない。

 いろんな立ち位置で、今の自分を見つめて、行ったり来たり!

 

 

 

 

 

 

体質改善

 企業の体質改善、人間と同じでそう簡単に実現はできない。

 でも3年先を見て、こうしたいこのレベルではいけない、こうありたいと思うことはできる。

 ならばそうすべきである。やはり決意が必要と考える。

 自分の体重にしてもそうである。

 目標62kgと決めれば、62kgになるにはどうしなければならないのか?

 どうすべきなのか?

 日々の生活改善、日々の暮らし方次第である。

 今年は大きな節目の年。

 会社のあるべき姿をどうイメージするか?

 魚眼レンズの視点でモノコトを見て、脳にどうイメージングさせるか?

 自分の頭の中に、どうたたみこむか?

 生産効率の仕事と、付加価値創造仕事、相反する仕事をどう組み合わせるか?

 独自の仕事の方向性を決める時期が来ている。

 

継続すること

中小零細企業にとって事業を継続することは至難の業。

同一事業で同一品番にて50年間続いているのが、ビニロン寒冷紗。

これは素材のチカラ、ビニロン糸の力によるところが大きい。

メーカーにとっては、素材力は一番大きなチカラ。

ショップでの小売販売の場合、ヒット商品の寿命は5年くらいがよいところ。

50年もの間販売を継続できることは、小売業ではあり得ません。

他方、蚊帳生地ふきんの寿命は35年~40年くらい。

これはこれで凄い。

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これは素材の組み合わせ力によるところが大きいように思われる。

いずれにせよ、作ること、販売すること、広めること、これを1企業でしなければ、明日へとは繋がらない。

企業規模と事業内容によって、どの道を歩むべきか?覚悟が必要である。

ましてや新規事業をする場合、継続しながら事業バランスをいかにとるか?

売上至上主義になってはいけない。

堅実な経営で売上が後からついてくる。

小柱事業を多角化しつつ、お客様のニーズをキャッチしながら商品を組み合わせる。

こんなイメージが理想形。

口では何とでも言えるが、生身の自分が実験台。

辞めるも、進も己次第!

反芻しながらロケットは上がっている。

奈良蚊帳の灯を消してはならない。

詩人 長田 弘さんに感動!

 今日は久々に土曜日休日、3連休の初日。

 いつもより1時間遅れの5時45分起床。

 アッ見忘れた?

 NHKの「あの人に会いたい」

 デッキを見ると、録画の赤ランプ。

 娘が予約してくれていた。

 本当に大好きな番組で、今日は詩人の長田 弘さん。

 とにかくよかった!内から湧いてくるものが実感できて!

 ここに紹介させて頂きます。

 「人生は森のなかの一日」より詩集「詩ふたつ」

 何もないところに

 木を一本、わたしは植えた

 それが世界のはじまりだった。

 わたしたちが死んで

 私たちの森の木が

 天を突くほど、大きくなったら

 大きくなった木の下で会おう。」

 木や森のうつろう季節など、なにげない日常の世界を言葉にした詩人、長田 弘さん。

 その詩は人々の内に眠る風景の記憶を呼び覚ましさまざまな世代から愛された。

 

 長田さんは昭和14年福島県福島市に生まれ。

 戦争中は疎開先の山間の村で木々に親しみ木の記憶と共に育った。

 山の町に生きた人、川の町で生きた人、海の町で生きた人

 それぞれそういうところで生まれて自分の後ろ(背景)ってのは必ず在るわけですね。

 うんと簡単にいうと、背負っているものは「風景」なんですよ!

 ところが後ろに在るがために前進しなきゃいけないと思うと後ろに在るものを忘れてしまう。

 でも自分を作っているものはその風景だと

 自分が育ったのはその風景からだと

 そういう風にいつもこう考えてるみたいなんですね!

 詩は書かれざる哲学書を書くこと

 心の目印になるものをいう想いがあった。

 いっぱい目印を残してきたのが詩だったから、それが僕はとても大事なことだと

 読む方から考えてみればその詩の中に求めているものは一種の「痕跡」なんですね。

 そこに残されている痕跡というものは自分にとって何であるかということを清少納言だろうと、松尾芭蕉だろうと、良寛さんだろうと、それが「自分のすぐ隣にいる」という感覚を持てるのが人間の特徴だと思います。

 500年前や700年前に死んだ人でもその人が書いたものがあって、自分の心の目印になる人だったら身近に感じることが出来る。

 人は皆風景の中で育てられていくという想いを強くしました。

 「自分の位置というのはどこにあるのか!と言われた時に間違いなく言えることは「ただ空の下にいる」ということだろうと。

 その風景の子供たちは、みんな空の下にいるわけです。ですから風景の違いというものはわれわれを隔てるものではなくて、同じ空の下にいるーという、 お互いの自覚を促すものであると思う。

 東日本大震災に詩集「奇跡」を出版、故郷を襲った大震災、その直後、病に倒れた長田さんは日常を改めて見つめた。

 日常というものは、ずっと当たり前のことだと思っていた。

 しかしその日常が実は本当に自分たちにとって必要な奇跡だったということを思い知らされたのではないか?

 自分たちにとって必要な奇跡というものは自分たちの目の前にあるもの、平凡なものが一番本当は自分たちにとって奇跡じゃないかというふうに思われてならない。

 見えないものを「見る」と簡単に言いますけれども、見えないものは「感じる」のですね。

 見えないものを感じるという感覚を自分の中で生き生きしたものにしていかないと見えるものも見えなってしまうし、気配というものを感じられなくなる。

 どうしても実際に何かを口にしたり言ったりしようとすると見えるものだけが中心になってしまう。

 でもそれ以上にいろんな、そこには見えないものでもその気配を感じるものがある。

 あるいは、そこに「在る」と感じられるけれども見えないものがあるという感覚は大事にしたい。

 平和、日常と感じる力、その大切さを言葉にし続けた詩人、長田 弘さん。

 その深い思いは先に逝った最愛の妻への詩にあらわれています。

 「春の日、あなたに会いにゆく。

 あなたは、なくなった人である。

 どこにもいない人である。

 

 どこにもいない人に会いにゆく。

 きれいな水と

 きれいな花を、手に持って。

 どこにもいない?

 違うと、なくなった人は言う。

 どこにもいないのではない。

 どこにもゆかないのだ。

 いつも、ここにいる。

 歩くことは、しなくなった。

 死ではなく、その人が

 自分のなかに残していった確かな記憶を、わたしは信じる。

 言葉って何だと思う?

 決して言葉にできない想いがここにあると指差すのが言葉だ。

 春の日、あなたに会いにゆく。

 きれいな水と、きれいな花を手に持って。」

 自分たちにとって必要な「奇跡」というものは自分たちの目の前にあるもの。

 平凡なものが一番本当は自分たちにとっての奇跡なのではないかって想われてならない。

 詩人 長田 弘 さん 1939~2015 没  合掌

阪急スークにて蚊帳の夢ならっぷ

昨日から阪急百貨店スークにてならっぷふきんを始めとした商品を販売しています。

スーク20150715

販売期間は7月15日~28日まで

ご来店下さいませ。